稀勢の里引退決意!横綱成績と会見前夜の親方との話合いが気になる?

第72代横綱である稀勢の里関が、ついに引退を決意しました!横綱での成績と会見前夜の田子ノ浦親方との話合いが気になります。稀勢の里関が引退を決意した理由と、これまでの横綱在籍中の成績と会見前夜に田子ノ浦親方と話合いした内容が気になるので色々まとめてみました。





稀勢の里引退、前夜に田子ノ浦親方に伝えていた!

第72代横綱の稀勢の里関(田子ノ浦部屋)32才が、ついに引退を表明しました。

進退をかけて臨んだ1月場所でしたが、よもやの初日からの3連敗を記録してしまい、昨年の秋場所の千秋楽から8連敗という、横綱ワースト記録となっていました。

1月15日の夜に、田子ノ浦部屋を訪れて、親方との話し合いを持ったようです。

話し合いの中で、稀勢の里関は親方に対して「(明日は)出場しません。引退します。」と自ら切り出したそうです。

親方は本人が決めたことと強調し、覚悟をきめて話しているのだと思い「ごくろうさん」と答えたそうです。

理由については、深くは語らなかったが、思うような相撲がとれていない、横綱だから結果を出さないといけないが、そういう結果にならなかったとだとしています。

また親方は現実を受けられないというか、まだそこまで考えられないと困惑した表情で取材に答えていました。

稀勢の里関は部屋には1時間半ほど滞在していましたが、親方は「顔を見ればわかる」とその表情から覚悟していたようです。

稀勢の里引退 師匠との話し合いは?

15日の夜に部屋に立つ寄った稀勢の里関は、師匠である田子ノ浦親方と引退について話し合いをしています。

親方と2人で夜の遅い時間の30分ほどな話したそうです。

親方は稀勢の里の表情は、いつも通りで平常心だと感じたが、いろんな思いがあるなと感じたと言っていました。

「引退させてください」との問いに「そうか、ご苦労さん」としか言えず、それ以上は声をかけられなかったそうです。

理由は深くは語らなかったが、みなさんの前でなかなか結果が出せず、気持ちの面があったのではないかと話していました。

親方としては、もっとできると思っていたが、我慢強い稀勢の里ですから、それなりの覚悟があっての発言だと考えたら、もっと続けてほしいならなかったともコメントしています。

横綱に上がってくれてうれしかったが、本人の葛藤がよくわかっていた。あっという間の2年間だったと神妙な面持ちで話していたのが、とても印象的でした。

稀勢の里引退会見は?

横綱稀勢の里関の引退会見が、1月16日15:40から国技館でありました。

冒頭に稀勢の里関は、今場所をもって引退し、年寄荒磯(あらいそ)を襲名し後進に指導にあたると述べています。

また、横綱として期待に応えられず悔いは残るが、自身の土俵人生には悔いはないとも話してました。

いろんな人に支えられていたとして、感謝の気持ちを述べるとともに、自分を強くしてくれたけいこ場が心に残っているとも話しています。

最後は一生懸命頑張ってきたが、このような結果になってしまい申し訳ないと涙ながらに話していました。

そして最後は記者たちの拍手の中、会見場をあとにしました。

記憶に残る横綱として、けがを押しながら土俵に上がり続けた姿は大変印象的でしたね。

稀勢の里引退に小倉智昭氏らコメント!

稀勢の里引退の報道に対して各方面からいろんな声が上がっています。

「とくダネ!」のキャスターを務める小倉智昭氏は「昨日の負けがあまりにも不甲斐なかったのでひょっとしたら」「負けが続いたら引退」という横綱の習慣なのようなものに苦言を呈しながら「立場もあるのでしょうね」をコメントしていました。

マンガ家で相撲通で知られるやくみつるさんは「白鳳のようなタイプとは逆に、30才を過ぎてようやく昇進した到達型の横綱だ。指摘されても愚直なまでに貫いた昔の力士像を体現していた」と語っています。

菅官房長官は「非常に残念で寂しい、これまでの活躍に敬意を表する」とし「19年ぶりの日本人横綱としてファンを魅了しました」とたたえていました。

鈴木大地スポーツ庁長官は「横綱としての成績に納得してなかったかも」とし「身を削りながら横綱まで上り詰め、満身創痍だったと思います。今後はゆっくり休んでもらいたい」とコメントしていました。

また最後の対戦相手となった東前頭筆頭の栃煌山関は「勝負は勝負、当りが弱かったとかなない。最後はすっと土俵をでた・・・」「何とも言えない気持ちです」と語っていました。

稀勢の里引退でへ日本人横綱不在に!

19年ぶりに誕生した日本人横綱稀勢の里関が引退したことにより、日本人横綱が2年あまりで不在となりました。

なお19年前の日本人横綱は、若貴で人気だった若乃花関でした。

今後は、現在大関の高安(たかやす)や2018年名古屋場所で優勝した御嶽海(みたけうみ)、九州場所で優勝した高景勝(たかけいしょう)ら日本人力士に期待したいですね。





稀勢の里初日から3連敗、横綱ワースト8連敗と横綱成績が気になる?

初日から3連敗を喫した横綱稀勢の里でしたが、昨年秋の名古屋場所の千秋楽から続いた連敗記録は8となり、横綱在位中の記録としては貴乃花などと並ぶワースト記録となっています。

また、金星配給も12場所中17個と不名誉な記録となっています。

横綱通算成績も36勝36敗と、本人の納得のいく成績ではなかったようです。

稀勢の里略歴

15才で角界入りし初土俵は2002年の3月場所で、初入幕(十両昇進)は17才9か月で、これは貴乃花に次いで2番目の年少記録となっています。

その十両をわずか3場所で通過し、新入幕の18才2か月は、こちらも貴乃花に次いで年少2番目の記録でした。

その時に四股名を、稀な勢いで駆け上がるようにと、本名から稀勢の里に代えています。

2005年9月場所で初の三賞(敢闘賞)を受賞しています。

その年の7月場所には、史上4番目の記録で三役昇進を果たしています。

2008年1月場所で、当時の横綱であった朝青龍から初めて金星を獲得しています。

初めて関脇に昇進したのは2009年の1月場所で、大関昇進は2011年11月場所で果たしています。

新入幕から42場所かかった大関昇進は、史上5番目に遅い出世となりました。

2013年には、69勝をあげ史上初めての年間優勝なしでの最多勝を獲得しています。

2017年1月場所で初優勝を飾り、この時の初土俵から89場所目、大関在籍31場所目での優勝は、歴代で最も遅い優勝記録となっています。

場所後に横綱審議員会が開催され、満場一致で第72代横綱に昇進しました。

2017年3月場所では、左二の腕が内出血するほどのけがをおおいながら、優勝しました。

しかしこの時のけがが致命傷となり、その後は休場を繰り返し2019年1月16日に引退を決意しました。

優勝2回(幕内最高優勝)、幕下優勝1回

通算成績 800勝492敗97休 、幕内成績 714勝449敗97休

殊勲賞 5回 、 敢闘賞 3回 、 技能賞 1回

横綱在位12場所、うち15日間出場できたのは2場所のみでした。

稀勢の里プロフィール

四股名      稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか)

本名       萩原 寛(はぎわら ゆたか)

生年月日     1986年(昭和61年)7月3日

身長       188cm

体重       178kg

出身地      茨城県牛久市

所属部屋     田子ノ浦部屋

最高位      第72代横綱

得意技      左四つ、突き押し、寄り

稀勢の里引退決意!横綱成績と会見前夜の親方との話合いが気になる?《まとめ》

17年間の土俵人生に終止符を打った稀勢の里関。

けがを押しての優勝や、土俵上での姿には随分勇気づけられました。

今後は親方として後進の指導当り、横綱を育ててほしいですね!

引用:http://ur0.link/Pkoc




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